言葉にしないと伝わらない。文字にしないと残らない。

理想の上司を描く時代小説「上杉鷹山」レビュー

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ケネディ大統領も知っていた。

上杉鷹山

現代の米沢市である米沢藩を治めていた上杉鷹山(うえすぎ ようざん)がどのようにして米沢藩を危機的状況から救ったかを追体験するプロジェクトXのような小説がこちらです。

当時(1700年代)の米沢藩は、かの武田信玄公の息がかかっていたということで何よりも「見栄」を第一に考えていました。

財政がどんなに苦しくても富豪のように振る舞うのが正しいとされていた、かつての米沢藩。

領民たちは飢える一方。

年貢の納めも良いわけがなく、藩士も領民も死んでいないだけの状態でした。

 

そこに若干17歳の上杉治憲(後の鷹山)が「愛による民のため政治」を掲げ、米沢藩を改革していく姿を描きます。

 

そのような改革は当時としては異例中の異例。

当然、家臣からは反発をもって受け入れられますが、柔和ながら厳しく改革を進めていくその姿はドキュメンタリーを見ているような間隔になります。

時代小説ってお硬いイメージがありますが、普の小説のように読みやすいのはカタカナが使われていたり、会話がメインだからでしょうか。

現代につながる改革の数々

「なせばなる なさねばならぬ なにごとも なさぬは人の なさぬなりけり」という言葉を聞いたことがあるかと思います。

実はこの言葉、上杉鷹山の言葉とされています。

元ネタは武田信玄の「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬと捨つる 人のはかなき」とされていますが、上杉鷹山のほうが個人が覚悟を決めている感情があって、わたしは好きです。

 

言葉以外にも鷹山の改革は現代に残されています。

財政を改善するために進めた「笹野一刀彫」は現代でも米沢の工芸品として有名です。

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Image:Wikipediaより

作中に出てくる老婆とのやり取りも事実とされており、老婆の手紙も残されています。

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Image:Wikipediaより

水戸黄門や暴れん坊将軍のように殿様がお忍びで城下町に出ていくなどフィクション以外の何物でなかったはず。

でも、実際にそんなことを行ったのが鷹山だったのです。

関連する本

最初にも書きましたが、日本人記者がケネディ大統領に「日本人で最も尊敬している人物はだれか?」と聞いたときの返答が「上杉鷹山だ」と答えました。

この本にはケネディ大統領が鷹山のどのようなところに惹かれたのか、現代にも通用するヒントが散りばめられています。

 

こちらは、この本の作者の童門冬二先生のコラム本。

特攻隊、都庁勤めを経験した90歳代の人生の大先輩の気の張らないコラム集です。

レビューはこちらからどうぞ。

www.nenzop.net

この本を読んでみて

この本、会社勤めの人にとにかく刺さると思います。

わたしのような平社員だと「こんな上司がいたら…」と思うし、管理職だと「こうありたいものだ…」と思うでしょう。

 

こういった感想を抱かせるのは作家の童門冬二先生が都政に携わっていたからかもしれません。

実際に政治に携わっていなえればかけない空気がひしひしと伝わります。

2021年。この時代にも上杉鷹山のような指導者がいれば良いのですが…

サムネイル画像はAmazon商品ページより引用