ボランティア=無償労働ではない!では支払われるはずのお金はどこへ?
ブラックボランティア
東京オリンピック・パラリンピックの暗部について語った著書です。
スポンサーファースト精神で東京オリパラ委員会(JOC)はスポンサー費を集めて私腹を肥やします。
過酷な灼熱の空の下で働く無償労働者を集めるために、どんな手を使っているのかを暴きます。
そもそもボランティアってなんで無償が前提なんでしょうか?ボランティアという言葉には「無料で・無料で」という意味はありません。
「自主的に」であるとか「自発的に」という意味なのです。
また、過去のオリンピックのボランティアは無償でありません。交通費や宿泊費だって出ています。国外のオリンピックの話じゃありませんよ。長野五輪だって賃金の支払いはあったんです。
東京五輪では10日間以上1日8時間以上の労働を強いるのであれば、それは仕事です。
仕事ならばそれに見合った対価が支払われるべきですがJOCは「ボランティア=無償労働」という概念を作り出し、対価を払おうとしません。
お金がないわけではなく、ただ自分たちの稼ぎが減るから払いたくないわけです。
美辞麗句に彩られた東京五輪。でもその裏舞台には契約奴隷と言えるくらいの人命軽視のブラックボランティアがあったのです。
ボランティア精神を否定しているわけではない
台風被害や震災被害で被災地に集まり、炊き出しをしたり、瓦礫の破棄を手伝ったりする人たちもボランティアといいますよね。
もちろん本書もわたしもこのボランティアを否定することはありません。
でも、東京五輪のボランティアは性質が全く違います。何が違うかというと台風や地震は商業イベントではないからです。
近代五輪は1984年のロサンゼルス五輪から一大商業イベントとなりました。
アマチュアアスリートの祭典からオリンピック委員会がスポンサー企業から協賛金を募り、巨額のお金が動く商業イベントに変化したのです。
競技会場を作ったり、スポンサーは協賛CMを流したりと予算を考え配分して五輪を運営するという商業イベントなのです。
このことは周知の事実ですが、東京五輪で異様なところはその予算には会場整理や移動案内、通訳、医療までの従事者への予算が割かれていないというところなのです。
なぜ割かれないかというと、お金がもったいないから。
ボランティア1人に日給1万円でも支給してしまうと、それだけJOCの取り分が減ってしまうのです。それをJOCは嫌っているのです。、
「成功させよう!」「感動を分かち合おう!」というお寒い宣伝文句
この異常な経営体制に著者はJOCに質問状を送ります。質問はシンプルです。
「巨額のスポンサー費があるのに、どうしてボランティアは無償なんですか?」
その答えがこれです。
「一生に一度のオリンピックにボランティアに参加することで世界中の皆さんと感動を分かち合える体験ができるから。」
答えになっていませんよね。一生に一度で感動を与えるんだったら結婚式だっておんなじです。ウエディングプランナーに同じことをいって対価の支払いを拒んだら訴訟です。
要は招致の時点からボランティアはタダ働きさせるつもりだったのでしょう。
これが例えば「運営予算がギリギリなので、どうしてもボランティアは無償なんです」となれば多少の説得力はあります。
でもJOCは運営予算がどのように使われているのか、完全に明らかにしていません。
五輪はこれから一生同じ場所でやれ
大会ごとに新しい競技場を建てて使い捨てにしているようでは東京五輪のようなブラックボランティアが再び生まれかねません。
もう都市持ち回りでオリンピックをやる意味ってもうなくないですか?
規模は全く違いますが、甲子園だって毎年毎回同じ球場でやるじゃないですか。
それと一緒で夏季五輪はもうずっとアテネとか希望都市に固定するべきです。
ひとつの都市、ひとつの組織で五輪を運営することでノウハウもたまりますし、建物も一度建てれば、旧国立競技場のようにしばらくは使えます。
リオ五輪のように建物を使い捨てになることもなくなるでしょう。
そして最大のメリットは記録の統一化です。
地球上の重力は場所によって異なります。自転の遠心力で、赤道に近いほど重力は弱く、赤道から離れれば離れるほど強くなり、約0.7%ほどの差があります。
たったそれくらい?って思うかもしれませんが、この差が陸上競技では数センチは記録が変わってきます。
ストックホルムオリンピックとメキシコシティオリンピックでの走り幅跳びではメキシコシティのほうが重力が弱いので好記録が出やすいのです。
もし本当にアスリートファーストを掲げるのであれば、使い捨てのタイプのオリンピックはもう止めにするべきです。
関連する本
日本軍による第二次大戦で史上最悪の作戦と呼ばれ、作戦に参加したほとんどの日本兵が死亡したインパール作戦。
精神論を重視して、兵站を度外視したというのが東京五輪に重なります。
この本を読んでみて
東京五輪がここまで荒れているのって結局は「誰が頼んだわけでもないのに、勝手に招致&開催させられた」ってことなじゃないでしょうか?
国民投票でもやって「東京の夏は暑い!ボランティアも無償かもしれない!でも、やるんだ!!」という合意があったらまだ変わったかもしれません。
でも東京五輪ってお偉いさんが勝手に決めて、しわ寄せは関係ない国民ってわけですからもめないわけがありません。
この本には、どうしてメディアはこんな杜撰なことを黙ってスルーしているのか?そもそもどうして真夏にやるのか?という疑問に答えています。
その疑問の答えを読んでの、わたしの予想ですが、東京オリパラが終わったらメディアは一斉に手のひらを返して、オリンピック批判をするのではないでしょうか?
現状、電通に首根っこを抑えられている主要なメディアは「オリンピック頑張ろう」と論調を合わせていますが、電通の首根っこを抑えているJOCは東京五輪後には関係が切れます。
電通(JOC)との関係がこじれるのを懸念して東京五輪の批判的な論調を抑えていたメディアも五輪が終われば「ほらみろ、やっぱり大失敗だったじゃないか!!誰だこんな運営を許したのは?!」って内輪もめ。逮捕者まででちゃったりして。
毎年死人が出る暑さですので、オリンピック中にも死人も出るでしょうし、病人も何百人という数が出るでしょう。
準備も地獄、開催中も地獄、終わってからも地獄。そうならないように心から祈っています。