言葉にしないと伝わらない。文字にしないと残らない。

書評「一九八四年」感想:人間性とはなんぞや

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ディストピア小説のお手本。

一九八四年

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

1948年に書かれた全体主義に支配された近未来を描いたSF小説。絶対権力を握る党による非人道的な監視や管理の元に置かれた人々の暮らしを描きます。自室にすらテレスクリーンと呼ばれる監視カメラ兼ディスプレイが配備され、プライベートなんてなく、食事も配給制、物資は常に不足しているのに生産性は毎年向上している矛盾…

そんな絵に描いたようなディストピアの世界観を最初に描いたのが、この一九八四年という小説です。

 

言葉を制限して管理する

この小説に登場するニュースピーク(New Speak)と呼ばれる新しい言語。このニュースピークによって人間は人間らしい思考を奪われてしまいます。ニュースピークって具体的にどんなものかって言うと、極端に語彙を制限して少なくしてしまうんですね。「良い(Good)」の反対は「悪い(Bad)」ですけど、ニュースピークでは「悪い」を「非良い(Ungood)」と言い換えます。悪いという言葉を捨て去ってしまうんですね。

強調に関しても「とても良い」を”Plus-good”に「最高に良い」を”Doubleplus-good”のように言語を機械的に扱うことで言葉が持つ余韻だったり背景を見えなくしてしまうんです。

使える言葉がどんどん狭められていく結果、人らしい営みをなくしてしまうという恐ろしい世界を描いています。思えば良いことも悪いことも「ヤバい」で済ませてしまう日本語も、ニュースピーク的なのかもしれません。

 

1948年という時代背景

 この小説が書かれたのが1940年代とあって当時の世界観を色濃く反映した近未来が描かれています。例えばどこでもタバコを吸っていたりだとか。他にも当時の世相をよく映しているのが共産主義・全体主義への強い反感や嫌悪。

第二次大戦が終わって直後の世界観ですからね。米ソの冷戦の時代への突入を予感させます。こういった時代背景を知っていると、ちょっと反共産主義・半全体主義のプロパガンダ小説とも感じてしまいます。

この著者はこの後にも似たようなテーマで全体主義をこき下ろす「動物農場」という小説を書いています。

 

この本を読んでみて

1984年は後世のいろいろな文学作品や芸術作品、はてはゲームまでに影響を与えています。それは単に反全体主義や反共産主義を謳ったからではありません。

この本の根底にあるのは「『人間とは、人間らしさ』とはなんぞや?」という問いかけです。象徴的な文章が終盤に現れます。「鳥は歌う。プロール(非支配階級者)は歌う。だが党員(支配者)は歌わない」。ニュースピークにどっぷりハマった党員は人間らしさを失ってしまったのでしょうか。

他にも立派な制服を着込んだ党員とボロを着た非支配階級のおばさんを比べる場面が有るのですが、そこでも非支配階級者のほうが生き生きと描かれています。こういう時代とともに風化しない問いかけをテーマにしているからこそ、ここまでの影響力を持ったのかなと思います。

全体的に暗く、今にも雨が振りそうな曇天の雰囲気をまとったこの小説ですが、教養の一環として読んでおくのもありです。私はアマゾンで購入しましたが、全編無料で公開もされていますので、気になる方は試してみてはいかがでしょうか?

blog.livedoor.jp

こちらはハヤカワ文庫版です。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)