言葉にしないと伝わらない。文字にしないと残らない。

何年も前の8月に自転車で北海道→福岡まで走った時の話

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もう何年も前になりますが、私が大学生だった頃は北海道に住んでいました。実家は福岡。大学生特有の長い夏休み。新品のクロスバイク。これらを足し合わせると自転車で福岡まで行ってみよう。ということになりました。

自転車購入&準備編

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Absolute 4.0 2006

大学3回生の4月頃、サークルの仲間でスポーツバイクが流行りました。GiantやBianchiなんかでした。私が買ったのはFuji Absolute 3.0というクロスバイクです。小柄な人でも選べるサイズと角度が調整可能なステム、あとかっこいいと感じたトゥークリップが標準装備されていたのが決め手です。
 
Fuji Absoluteを買って初めてペダルを回した時、羽根の生えたような感覚と一緒に「これならどこにだって行けるぞ!」と感激したのを覚えています。それから毎週末にはサイクリングに出かけ、GWには初めて日時の走行距離が100kmを超え、初夏には1日に200kmを走れるようにはなりました。
 
そこで「夏休みに自転車で実家(福岡)まで行ってみるか?」という突発的な考えが浮かびました。一度、思いついてしまうともうそれしか考えられなくなり、キャリア(荷台)とパニアバッグを購入して自転車に取り付けました。3着ほどの着替えとパンク修理キット、100均の雨ガッパ、携帯の充電器をバッグに詰め込んで北海道から福岡を目指す2000kmの旅に出かけました。
 

覚悟の浅さを知った1日目

私は道南に住んでいたので、朝早く出れば夜発の青森行きのフェリーに十分に間に合うことができます。それを見越して昼過ぎに当時のアパートを出発しました。
 
12時頃出発のフェリーに乗り込んで仮眠を取ります。青森に着くのは6時くらい。船員のおっちゃんに「兄ちゃんの自転車って10万くらい?」って聞かれました。5万もしないクロスバイクですが…
 
青森港から初日の目的地、盛岡まで走ります。国道4号線を南下すること約200km。途中十三本木峠を通過します。初日にして最大の難所を攻略することになります。が、上手くは生きません。十三本木峠に差し掛かった所ですでに18時。あたりは鬱蒼とした樹木が生い茂り、車通りも少なく、ほとんど真っ暗です。
 
自分の知らない道を夜に走るのがこんなに恐ろしいことなのかと心底思いました。最悪野宿も覚悟しました。不安で一杯の中、自転車のライトに照らされた「国道4号線最高地点 十三本木峠」の看板が見えた瞬間、思わず泣いてしまいました。
当時はなんで泣いちゃったんだろう?って思ったのですが、今となっては嬉しさと安心感が押し寄せてきたせいだったんじゃないかって思います。
 

腹をくくれた2日以降

初日にハードパンチを喰らった私ですが、それにへこたれる事はありませんでした。むしろこの出来事で腹をくくれた感じがありました。3日目以降は朝5時台に宿を出発して気温が上がりきらない内に距離を稼いで14時位の炎天下の時はファミレスやマクドナルドでのんびりするというリズムが出来上がりました。
 
こういった適応能力の高さは自分でも気づいていない能力でしたね。旅をはじめて1週間も経つと自分の脚でどこへでも行けたのになんで大学生なんてやってたんだろう?」って妙な悟りに至りましたw
 
東京には5日目にたどり着き、1日の完全レスト日を挟んで名古屋・大阪方面へ旧東海道、国道1号線を走ります。
 

終わらない静岡・ハードな名古屋

静岡に入るのに箱根峠を使いました。正月の箱根駅伝のコースです。まさにあのコースを走りました。特徴的なヘアピンカーブだって走りました。途中本当にへこたれて道端にしゃがみこんだこともありました。
 
それでも十三本木峠と比べたら日も高いし車通りだってある!不安はねぇぜ!って初日の経験が活きました。芦ノ湖を横目に見ながら余裕の箱根越え。静岡に入って沼津に宿泊しました。そして次の日も静岡に宿泊しました。この自転車旅行で同じ県に2泊したのは静岡だけでした。
 
名古屋に差し掛かる頃には自転車が疲弊し始めました。めちゃくちゃにパンクが増えたのです。1日に3回もパンクをくらいも。心底堪えました。自暴自棄になってパンクしたタイヤで走ったりしました。
 
名古屋を越えて京都を抜け大阪にたどり着き、大阪でも完全レスト日を設けてのんびりしました。
 

悪天候とマシントラブル

大阪を越えてからは国道2号線を走ります。ここまで来ると「なにがなんでも福岡までたどり着いてやる!」という気持ちが芽生えます。電車なんか使ってやるもんか!俺は人力で実家までいくんだぁ!ってゴールが見えてきてからやたらやる気が出るってちょっと現金ですねw
 
でも旅の神様はそこまで甘くはありませんでした。岡山に差し掛かるころに再びのマシントラブルが発生したのです。またしてもパンクです。それも1日に3回も。名古屋の再来かよ…って思いながら努めて冷静に対処しました。これまでに1500km以上炎天下、しかも荷物を乗せて走っているわけです。そりゃ自転車だってくたびれます。
 
岡山を通過してからは悪天候に道を阻まれます。これまでほとんど雨なんて降らなかったのに山口に入ってからはものすごい土砂降り。かっぱを着て走ります。
 
それはもう蒸れはひどいもので体力を激しく消耗しました。こんなにトラブル続きだったのに不思議ともうやめようという気持ちにはなりませんでした。木陰で雨宿りしているとお地蔵さんとかがちょこんと座っていたりして「もう少しでゴールなんで見守っててください」と手を合わせたりしました。
 

九州上陸!

2000kmを走ってようやく門司にたどり着きました。50円を払って関門トンネルを通過します。「トンネル内では自転車には絶対乗るなよ!」と係員の人に念押しされました。
 
お約束の山口←→福岡の看板の前で写真をとりました。これにて九州上陸です。
九州に上陸してからは実家はもうすぐそこです。すぐそこといっても50km程度あるのですが、これまで2000km以上走ってきた自分にとっては誤差みたいなもんです。
 
途中小倉城で記念撮影をしたり、なつかしのとんこつラーメンを食べたりして「あぁ、本当に自転車で帰ってきたんだなぁ」ってようやく実感が湧いてきました。山口でずぶ濡れになったスニーカーをグシュグシュ言わせながら実家までのラスト50kmを走ります。
 
最早地図を見る必要はありません。なぜなら昔に住んでいた街だから。これまでの旅を思い出しながら実家へとペダルを回します。
 

見えた家の光

私の実家は小高い丘の上にあって遠くからでも家の電気がよく見えました。それは2000km以上走ってきた後も同じでした。時刻は19時。遠くに家の明かりが見えた瞬間「あぁ、おわっちゃったなぁ…」と達成感と喪失感が一斉に押し寄せてきて、またしても泣いてしまいました。
 
それでも両親には「いや、わりと余裕だったよ?」と見栄を張りたいので、涙が落ち着くまで道端でベソベソやっていました。ひとしきり泣いたあとは「ただいま」を言うだけです。思ったよりボロボロになっていたようで、実家で飼っている犬に死ぬほど吠えられました。
 

何を学んだのか?

難しい質問です。ぶっちゃけた話、走りたかったから勝手に2000km走ったわけで、何かを見つけようだとか、教訓を得ようとかそういった目的はなかったからです。それでもちょっと思ったのが「まず思って、行動しないと、何にも出来ないな」ってことです。
 
特に「思う」って事はスゴく大事で、例えそう思う理由がくだらなくても、まず思うことから始めないとってこの旅を通じて学習しました。「北海道から福岡まで走ってみたい」という「思う」ってパワーが結局2000km以上走る原動力だったと旅を終えてから意識しました。
 
あと、大体の日本人は北海道から福岡まで自転車で走るようなことはしません。「学生時代に北海道から福岡まで走ったことがあって…」と自己紹介の時に触れると大体、その人の印象には残ります。そういったところでは一生使える持ちネタをゲットできましたw
 

2100km15日の旅

これだけの距離を2週間で走り抜けたのでちょっと自慢したくなりました。そして確か8月の18日にゴールしたはず。そう、つまりこの記事の公開日。もう遠い過去の出来事だけど、夏が来るたび思い出せる、一生物の経験を得ることが出来ました。途中GPSのログを取りながら走ったので、足あとをGoogle mapに残しておきました。そしてこのマップは私の宝物になっています。

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