言葉にしないと伝わらない。文字にしないと残らない。

それカタカナ語で書く?カタカナ語使って意味わからない文書になってない?

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容易にカタカナ語を使って、日本語による正確さから逃げてはいけない。

あふれる謎のカタカナ語

ブログを3年ほど続けていると人の書く文書にもいろいろな気づきを得るようになりました。最近一番気になるのが”カタカナ語”です。私がよく見るブログやサイトが家電やコンピュータのレビュー記事だったり、技術系のコラムが多いからかもしれませんが、「それ、なんでカタカナ語でわざわざ書いているの?」って思うことがあるんです。

もちろん表現としてのカタカナ語や日本語として定着したカタカナ語はありだと思うんです。コンピュータとかスマートフォンとか。電子計算機とか高性能携帯電話とか言われてもピンときませんしね。ただ、カタカナ語をあえて使うことによって理解を妨げたり、わざと意味を曖昧にしているような文書をよく目にするんです。趣味で書いているブログならまだしも、プロが書くならもうちょっと考えてほしいなぁって思うんです。

 

謎のカタカナ語の実例

例えば某経済誌のMacbook Air 2018モデルのレビュー記事にあったこの文言。

(前略)価格の安さから学生に支持されてきた背景もあるため、より価格コンシャスなモデル構成としたのだろう。(後略)

新型MacBookAir、「8年ぶり全面刷新」の衝撃 | スマホ・ガジェット | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準より

価格”コンシャス”とは一体?コンシャス(Conscious)とは「意識」とか「意識のある」、「気にしている」、「重視する」という意味を持ちます。この記事の場合、「より価格を意識した」とか「より価格を重視した」と書けばいいのにわざわざカタカナ語を使っているので読者がこの文書から読み取る解釈が曖昧になっています。

他にもあります。某電子雑誌のmac miniのレビュー記事です。

(前略)1TBのSSDにするには8万8000円の追加フィーが必要だ。(後略)
flick! digital 2019年2月号30ページより

やっぱり追加”フィー”とカタカナ語で書いています。なお、フィー(fee)とは「料金」「手数料」「入場料」などの意味を持ちます。この文書の残念なところは、わざわざカタカナ語を使ったのに、その元の英単語の意味が日本語の意味と食い違っているところでしょう。文脈を酌むと「追加費用が必要だ」と素直に日本語で書けば良いのに、なぜかカタカナ語をねじ込んだおかげで「追加手数料」みたいな解釈にも取られかねない悪文となっています。パソコンを購入するときに費用と手数料って全く違う意味を持ちますよね。

普段あまり意識していないだけで、こういった文書って身近にたくさんあります。また、自分が思った以上にカタカナ語を使っていることがわかるかと思います。

 

Wiredのカタカナ語は害悪

カタカナ語をご丁寧に英語の発音っぽくして、読みにくくしているWiredというウェブサイトがあります。例えばドライバー(driver)をドライヴァー、デバイス(device)をデヴァイス、レベル(level)をレヴェル、ライバル(rival)をライヴァルとわざわざ読みにくく変換して表記しています。あまりにも読みにくいのでGoogle Chromeの拡張機能を作って読みやすくしている人もいます。

なんでこんな読みにくいカタカナ語を使っているかと言うと、

読者がいつか英語で話すことになった時、自然に正しい発音ができるようにという願いから(中略)せめてBとVだけ区別すれば人々の役に立つのではないかと思っているわけです。(中略)現地音主義ならセヴェ・バイェステロス(Seve Ballesteros:管理人が追記)でなければいけません。至極いい加減なのです。

Wired日本語版ではなぜvの音に必ずカタカナのヴを使うのですか? レベルではなくレヴェルと書くなど。 - Quoraより

という理由からだそうです。

迷惑な努力、余計なお世話だとしか言いようがありません。日本語のカタカナで書いている以上、元の言語の発音を表現できるわけがありません。カタカナ語でレヴェルだのライヴァルだのと書いたところでネイティブ(Wired風に言えばネイティヴ)に通じるわけがありません。英語圏の人にイモゥジ(Emoji)とかボゥケイ(Bokeh)とか言われても日本人が絵文字とか写真のボケとかとすぐに通じないように、外国語を母国語の表記で表せっこないのです。表せない、通じないのなら、その国で通じているわかりやすい表記で書いたほうがよっぽど親切です。読者のことをそこまで考えて文書を書くことがプロの矜持ってもんでしょう?

Wiredのような自己満足的な書き方は人に読ませるという水準に達していない百害あって一利なしの独善的な文書です。このような文書はわかりやすい文書のためにカタカナ語を使用するとかしないとか、そういう問題のレベル、訂正レヴェル、にすら達していないのです。

なおWiredはVitaminのことはヴァイタミンではなくビタミン*1と、Virusのことはヴァイアラスではなくウイルス*2と、Vietnamのことはヴィェツナムではなくヴェトナム*3と書いています。「現地音主義」を標榜している割には「至極いい加減なのです」。

 

なぜカタカナ語を書いてしまうのか

Wiredは論外としても、どうして日本語で表せるのにわざわざカタカナ語にしたがるんでしょう?それは楽だからからではないでしょうか。

例えば先に上げた”追加フィー”に関しても、日本語で表記するならば「追加費用」とか「追加料金」となるでしょう。では「費用」と「料金」の違いは?「費用」は(物理的な)何かをするために必要なお金のことで、「料金」は(サービス的な)何かを利用するために必要なお金のことを指します。ですので、SSDを増設する意図で使われている「追加フィー」は「追加費用」と表記するのが妥当です。なのになぜ、この記者は「追加費用」と書かずに「追加フィー」と書いてしまっているのかというと、フィー(fee)という英単語には「料金的な意味があるっぽい」からではないでしょうか。

このようにカタカナ語にすると「なんかそれっぽい意味」が付きます。価格”コンシャス”にしても追加”フィー”にしても「意識する・重視する」「費用・料金」の違いを一緒にまとめて、それっぽい意味の文書が書けちゃってると思いませんか?こういうちぐはぐしたカタカナ語の文書を見ると日本語の意味を吟味する手間を面倒くさがった結果、それっぽい意味のカタカナ語に逃げている、手抜きの印象を受けます。

 

容易にカタカナ語に逃げてはいけない

カタカナ語にすれば「それっぽい意味」は通じるかもしれませんが、物事を正確に伝えるための文書としては不適切です。「それっぽい意味」を持つカタカナ語をやめて、適切な日本語を使うには、どんな日本語が適しているか吟味する必要があります。その手間を嫌がって、容易にカタカナ語に逃げてはいけないのです。

繰り返すようですが、もともと日本語になかったり、すでに日本語として定着しているカタカナ語の利用を否定するわけではありません。すでに定着したカタカナ語をあえて日本語に直すことで逆に読みにくくなることだってあります。

でも、日本語にある言葉をあえてカタカナ語を利用する意味はあるのかって一度自問してみませんか。

カタカナ語を乱発ことで理解を妨げたり、意味を曖昧にしていないだろうか?誤解を生じさせないだろうか?そもそもこのカタカナ語の意味は文意に沿っているのか?そういうことを考え出すと逆に日本語で表現したほうが楽なようにも感じます。コンシャスやらフィーやら「それっぽい意味」を持つカタカナ語に逃げてしまうのは簡単ですが、正確な意図は通じなくなります。せっかく文書を書くんだったら正しく伝わってほしいと思いませんか?

以上、長々とプロでもない三流のブロガーが偉そうに語る記事になりました。こんなこれ以上ない、上から目線の文書を書いておきながら、自分の過去の記事を見てみたら目を覆うばかりの悪文、乱文ばかりです。さっさとリライト…じゃなくて書き直すことにします。

※リライトには書き直す、書き改める、書き換える、異なる書き方をする、という意味がありますので、この場合最も適している「書き直す」と日本語で書きました。